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大阪地方裁判所 平成7年(ワ)602号 判決 1999年11月08日

原告

棒谷愛子

ほか二名

被告

岸本要一

ほか一名

主文

一  被告岸本要一は、原告棒谷愛子に対し八七九五万二六六三円、同棒谷和義に対し一一八万円、同棒谷美智子に対し一一八万円及びこれらに対する平成二年七月九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告大東京火災海上保険株式会社は、原告らの被告岸本要一に対する第一項の判決が確定することを条件として、原告棒谷愛子に対し八七九五万二六六三円、同棒谷和義に対し一一八万円、同棒谷美智子に対し一一八万円及びこれらに対する平成二年七月九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  被告大東京火災海上保険株式会社は、原告棒谷愛子に対し、金八九七万円及びこれに対する平成七年二月七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

四  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

五  訴訟費用は、これを五分し、その三を原告らの負担とし、その余を被告らの負担とする。

補助参加によって生じた費用は、これを五分し、その三を原告らの負担とし、その余を被告岸本要一補助参加人の負担とする。

六  この判決は、第一項及び第三項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

一  被告岸本要一は、原告捧谷愛子に対し二億三九二四万三五三五円、同捧谷和義に対し五三〇万円、同棒谷美智子に対し五三〇万円及びこれらに対する平成二年七月九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告大東京火災海上保険株式会社は、原告らの被告岸本要一に対する第一項に係る判決が確定することを条件として、原告棒谷愛子に対し二億三九二四万三五三五円、同棒谷和義に対し五三〇万円、同棒谷美智子に対し五三〇万円及びこれらに対する平成二年七月九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  被告大東京火災海上保険株式会社は、原告捧谷愛子に対し、一〇〇〇万円及びこれに対する平成七年二月七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、被告岸本要一(以下「被告岸本」という。)運転車両(以下「岸本車両」という。)が前方車両に追突した事故により、岸本車両助手席に同乗していた原告棒谷愛子(以下「原告愛子」という。)が受傷し、後遺障害を残したとして、原告愛子並びにその父母である原告捧谷和義(以下「原告和義」という。)及び原告捧谷美智子(以下「原告美智子」という。)が、被告岸本に対し、自動車損害賠償保障法三条、民法七〇九条に基づき損害賠償を請求し、被告大東京火災海上保険株式会社(以下「被告保険会社」という。)に対し、保険契約に基づき損害賠償額の直接請求をするとともに、同社に対し、搭乗者傷害保険条項に基づき保険金を請求した事案である。

一  争いのない事実及び証拠等により容易に認定できる事実

(一)  事故(以下「本件事故」という。)の発生(甲一、二)

日時 平成二年七月九日午後九時四五分

場所 大阪府茨木市天王二丁目一番先路上(以下「本件事故現場」という。)

車両一 普通乗用自動車(山口五九て一八〇五、以下「岸本車両」という。)

運転者 被告岸本

車両二 普通乗用自動車(名古屋七〇て七二二八、以下「加藤車両」という。)

運転者 加藤浩次

車両三 普通乗用自動車(神戸五三や四四三八、以下「木下車両」という。)

運転者 木下こと李

態様 本件事故現場付近において、岸本車両の前方車両(加藤車両)がそのさらに前方の車両(木下車両)に衝突し、その直後、岸本車両が加藤車両に追突し、追突された加藤車両が再度木下車両に追突した。

受傷状況 原告愛子は、本件事故当時、岸本車両の助手席に、シートベルトを着用せずに乗車していたが、本件事故により頭部等を打撲するなどした。

(二)  原告

原告和義は、原告愛子の父であり、原告美智子は、原告愛子の母である。

(三)  責任原因

<1> 被告岸本

被告岸本は、岸本車両の運行供用者として、本件事故の発生につき自動車損害賠償保障法三条の責任がある。また、被告岸本には前方不注視の過失があるから、本件事故の発生につき民法七〇九条の責任がある。

<2> 被告保険会社

被告岸本と被告保険会社との間に自動車保険契約が締結されており、搭乗者傷害条項(後遺障害分最高額一〇〇〇万円)が付されていた(甲一九)。

(四)  入通院状況(弁論の全趣旨)

一 河合外科 平成二年七月九日

(事故後の初診日を示す。以下同様である。)

原告愛子は、本件事故直後救急車により河合外科に搬入され、平成二年七月九日からその翌日まで入院した(但し、形式上は通院扱いであった)。

二 神戸中央市民病院 平成二年七月一〇日

三 別所外科 平成二年七月一〇日

平成二年七月一〇日から同年八月二日まで二四日間入院、同月三日から同年一一月一六日まで通院(通院実日数三七日)

四 村井眼科医院 平成二年九月一三日

平成二年九月一三日から平成三年一〇月二日まで通院

五 真部外科 平成二年一一月一九日

平成二年一一月一九日から平成三年三月二九日まで通院、平成三年五月一日から同年一〇月一七日まで通院

六 吉田眼科 平成三年一月一八日

平成三年一月一八日通院、同年一〇月三日通院

七 兵庫県立成人病センター 平成三年一月二八日

平成三年一月二八日から平成四年六月二二日まで眼科通院(通院実日数一二日)

平成三年二月二六日、同年三月一二日脳神経外科通院

八 新日鉄広畑製鉄所病院 平成三年三月二五日

平成三年三月二五日から平成五年五月二〇日まで通院(通院実日数一五日)

九 毛利鍼灸院 平成三年六月七日

一〇 兵庫県立尼崎病院 平成三年六月二七日

平成三年六月二七日、同年七月二三日整形外科通院、平成三年七月九日、同月一六日、同月二三日眼科通院

一一 三聖病院 平成三年七月一日

平成三年七月一日から平成四年一月八日まで通院(通院実日数二二日)

平成四年一月九日から平成五年四月三〇日まで入院

一二 高橋眼科院 平成三年七月三日

平成三年七月三日から同年九月一一日まで通院(通院実日数四日)

一三 藤谷耳鼻咽喉科 平成三年七月八日

一四 三菱神戸病院 平成三年七月一七日

平成三年七月一七日から同月二六日まで通院

一五 神戸市立中央市民病院眼科 平成三年八月七日

一六 神戸海星病院 平成三年八月一四日

平成三年八月一四日整形外科初診日

平成五年五月一〇日ペインクリニック初診日

平成五年九月六日から同月二一日まで入院(麻酔科)

平成五年一〇月二七日眼科初診日

平成五年一〇月二二日から同年一一月一〇日まで入院

平成五年一一月一六日から同年一一月三〇日まで入院

一七 幸循会OBPクリニック 平成三年八月二二日

平成三年八月二二日から同年九月五日まで通院(通院実日数三日)

一八 大阪鉄道病院 平成三年九月二日

一九 大阪大学医学部附属病院 平成三年九月三日

平成三年九月二五日 (整形外科初診)

二〇 石岡整形外科 平成三年九月七日

二一 大室整形外科 平成三年九月二七日

二二 神鋼病院 平成三年九月一九日

二三 新須磨病院 平成三年一〇月一日

平成三年一〇月一日、同月一六日、平成五年一一月一六日検査

二四 加古川市民病院 平成三年一〇月八日

二五 神戸大学医学部附属病院 平成三年一〇月一一日

平成三年一〇月一一日、同月一八日脳神経外科通院

二六 吉良整形外科医院 平成三年一〇月一六日

平成三年一〇月一六日から同月三〇日まで通院(通院実日数八日)

二七 関西労災病院 平成三年一〇月三〇日

平成三年一〇月三〇日眼科初診

平成三年一一月一三日脳外科初診

二八 兵庫医科大学病院 平成三年一一月一六日

二九 大阪市立大学医学部附属病院 平成四年二月一二日

三〇 アイノクリニック 平成四年二月一四日

三一 佐々木皮膚科 平成四年三月一二日

三二 関電病院 平成四年三月一六日

三三 松川神経科診療所 平成四年五月二九日

三四 兵庫県立姫路循環器病センター 平成四年一〇月一三日

三五 神戸アドベンチスト病院 平成五年五月七日

平成五年五月三〇日から六月三〇日まで入院

平成五年七月二〇日から同年八月二九日まで入院

平成六年五月一八日から同月二〇日まで入院

平成七年七月一〇日から同年九月八日まで入院

三六 兵庫県立総合リハビリテーション中央病院 平成六年九月七日

平成六年一〇月三日から平成七年四月二〇日まで整形外科に入院

平成七年四月二〇日から訓練課入所

平成七年五月二日から同年七月一〇日まで整形外科、泌尿器科、放射線科に通院(通院実日数三〇日)

三七 佐野病院 平成六年九月一〇日

三八 藤森病院 平成六年一二月一四日

三九 九段坂病院 平成七年九月八日

平成七年九月八日から同年一一月八日まで入院

四〇 国立身体障害者リハビリテーションセンター病院

平成七年一一月七日

平成七年一一月八日より平成八年二月一日まで入院

四一 東京アドベンチスト病院 平成八年二月一日

平成八年二月一日から平成八年四月三〇日まで入院

四二 東京女子医科大学病院 平成九年一一月二一日

平成九年一一月二一日から同年一二月二八日まで入院

(五)  既払

<1> 被告岸本からの損害金内払い

被告岸本は、原告愛子に対し、合計七七万円を内払いした。

<2> 被告保険会社からの損害金内払い(乙五三、弁論の全趣旨)

被告保険会社から合計二六〇万六二七二円(健康保険組合からの求償に対する支払分四〇万六一九〇円は除く。)の支払を受けた。

<3> 搭乗者傷害保険金(弁論の全趣旨)

入通院に対する搭乗者傷害保険金一〇三万円が支払われた。

二 争点

本件の争点は、<1>事故態様・過失割合等、<2>後遺障害の有無、程度、等級、後遺障害の症状固定日、本件事故と後遺障害との因果関係、寄与度に応じた減額、<3>損害額である。

(一)  事故態様・過失割合等

(原告らの主張)

岸本車両は、時速七〇から九〇キロメートル程度の高速で走行していたが、ほとんどノーブレーキで前方車両に衝突した。その結果、助手席にシートベルトを着用せずに座っていた原告愛子の頭部が激しい勢いでフロントガラスに叩きつけられた。この事故により原告愛子がフロントガラスに当たった時の衝撃力は、三トン以上に相当する。

(被告らの主張)

被告岸本は、追突時に、目一杯の急ブレーキがかかるほどではなかったが、ブレーキペダルを踏んだ。また、被告岸本は、それほど高速で運転しておらず、追突の際の衝撃の程度もそれほど大きくはなかった。

原告愛子は、岸本車両の助手席の好意同乗者であり、本件事故の発生時にシートベルトを着用していなかったので、損害額の相当額が減額されるべきである。

(二)  後遺障害等について

<1> 四肢等の障害について

(原告らの主張)

ⅰ 原告愛子は、右上肢の一部(右肩と右肘)を多少動かすことができる程度で、その他には四肢を自己の意思によって動かすことができなくなっている。体幹は脱力状態である。下肢は硬直することがあり、日常、「痙攣」によるふるえが頻回にみられる。首より上は動かすことができるが、嚥下障害を訴えている。頭部、頸部を中心として全身に慢性的な疼痛を訴えている。自己の意思によって排尿、排便をコントロールすることはできない。体温調整が困難であり、特に気温の上昇に対応できない。

ⅱ その障害等級は、「両上肢の用を全廃したもの」「両下肢の用を全廃したもの」「神経系統の機能に著しい障害を残し、常に介護を要するもの」として、いずれも一級に該当する。

ⅲ 原告愛子の上記症状は、遅発性脊髄損傷として説明し得るのであり、本件事故と相当因果関係ある後遺障害である。

(被告らの主張)

ⅰ 原告愛子に四肢麻痺の後遺障害が客観的に存在することの証明はない。

ⅱ 原告愛子に本件事故を原因とする器質的障害は認められない。原告愛子の病態の長期間に及ぶ推移をみるとき、その本質的な病態はヒステリー病態とみて矛盾はない。

<2> 視力・視野傷害について

(原告らの主張)

ⅰ 原告愛子には、両眼視力低下(矯正不能)、両眼調節力不能、視野狭窄、色覚異常、複視、羞明、流涙、眼痛がある。めまい、ふらつきがあり、一瞬意識がなくなり倒れそうになる。左目は著しい眼痛で常にアイスノンを使用している。

ⅱ 本件事故により、外傷(左側頸部捻挫あるいは視神経管骨折)による調節不全傷害、視力低下、視野欠損が発生したものであり、上記症状は本件事故と相当因果関係にある後遺障害である。

(被告らの主張)

ⅰ 原告愛子の視力等についての症状は、他覚的症状がなく、自覚症状にすぎない。

ⅱ 原告愛子の視力障害は、緑内障によるものであることが強く推認される。

(被告岸本補助参加人の主張)

原告愛子には、他覚的症状はなく、原告の病状は心因性に基づく眼球障害にすぎない。

<3> 聴力障害について

(原告らの主張)

原告愛子は、両耳の難聴で補聴器が必要である。

原告愛子は、首の圧迫により難聴となった。

(被告らの主張)

原告愛子の聴力障害は認めるに足りない。

<4> 後遺障害の症状固定日

(原告らの主張)

後遺障害の症状固定日は、平成七年一一月一六日である。

(被告らの主張)

原告愛子の症状固定日については、真鍋外科において平成三年三月二九日、村井眼科において平成三年三月三一日と診断されており、遅くとも平成三年三月末をもって症状固定と考えるべきである。

(三)  損害額

(原告らの主張)

<1> 治療費 合計二四五万六六三四円

原告愛子は治療費合計二七四万五四九三円を支払った。また、被告保険会杜は治療費合計二七万二一五五円を支払った。一方、新日鉄健康保険組合は、原告愛子の支払った治療費合計五六万一〇一四円を原告愛子に対して支払った。

<2> 交通費 合計一八三万一七〇〇円

<3> 入院雑費 合計一五四万九五〇〇円

入院日数一〇三三日について、日額一五〇〇円の入院雑費を要した。

<4> 療養雑費 合計一〇八七万一三八九円

原告愛子の病状は四肢麻痺の他、排尿・排泄調節不全等の症状があり、これらに対応するために在宅療養中も、紙おむつ代などの諸雑費が不断に発生している。

ⅰ 平成六年一〇月一六日以降平成一一年五月まで(ただし、入院期間を除く。)

日数一三五五日の間に、日額一〇〇〇円の療養雑費を要した。

一〇〇〇円×一三五五日=一三五万五〇〇〇円

ⅱ 平成一一年六月二八日以降

日額一〇〇〇円の療養雑費を要する。

一〇〇〇円×三六五日×二六・〇七二三(五五年のホフマン係数)=九五一万六三八九円

<5> 付添看護費用 七四五四万九三七七円

ⅰ 平成二年八月から平成七年一二月までの付添看護費用日額五〇〇〇円の付添看護費用を要した。

(計算式)

五〇〇〇円×一九七七日=九八八万五〇〇〇円

ⅱ 症状固定日から平成一一年六月二八日まで

日額六〇〇〇円の付添看護費用を要する。

(計算式)

六〇〇〇円×一二六一日=七五六万六〇〇〇円

ⅲ 平成一一年六月二八日以降

以後、五五年間、日額六〇〇〇円の付添看護費用を要する。

(計算式)

六〇〇〇円×三六五日×二六・〇七二三(五五年のホフマン係数)=五七〇九万八三三七円

<6> 家屋改造費等 合計五〇万三一〇〇円

原告愛子は、四肢麻痺の状態での生活を維持するために居住マンション内にリフターを設置し、浴室を改造した。その費用は、一八二万五七五〇円であるが、内一三二万二六五〇円については補助を受けており、原告らの実費負担は五〇万三一〇〇円である。

<7> 将来の住宅改造費用 合計五〇〇万円

原告愛子の現在居住しているマンションは、仮住まいであり、介護の面からも、近い将来、きちんとした居を構えることが必要であるから、五〇〇万円の住宅改造費用がかかることは避けがたい。

<8> 医療器具等費用 合計九四一万七七〇一円

ⅰ 車椅子購入費

原告愛子は、これまで車椅子を三台購入し、周辺用具とあわせた費用は、合計一九五万五七九四円であるが、内三八万四三五五円については補助を受けたため、原告愛子の実費負担は、一五七万一四三九円である。

ⅱ 介護ベッド購入費

原告愛子は、平成七年に介護ベッドを購入し、周辺用具と併せて、一〇三万三四七三円を支出した。

ⅲ 将来の介護ベッド等の購入費

介護ベッド、車椅子、補聴器については、今後一一回の買換えが必要である。それぞれの価格は、介護ベッド七〇万一〇〇〇円、車椅子二五万円、補聴器二五万円である。したがって、以下の計算式のとおり、合計六八一万二七八九円の費用が必要である。

(計算式)

一二〇万一〇〇〇円×(一+〇・八+〇・六六六六+〇・五七一四+〇・五+〇・四四四四+〇・四+〇・三六六六+〇・三三三三+〇・三〇七六+〇・二八五七)=六八一万二七八九円

<9> 休業損害 合計二〇五二万〇七〇〇円

ⅰ 平成三年四月から同年九月まで

上記期間中、本来であれば一〇七万五七三二円が支払われるべきところ、実際には五九万七〇二三円が支払われたにすぎないから、その差額四七万八七〇九円が実損害である。

ⅱ 平成三年一〇月から平成一一年五月まで

上記期間中、基礎年収二六四万二九〇〇円(平成四年賃金センサス女子短大卒二〇歳平均賃金)が得られたはずである。

(計算式)

二六四万二九〇〇円×九一/一二=二〇〇四万一九九一円

<10> 逸失利益 合計五六三一万七五五六円

原告愛子は、本件事故がなければ、年収二六四万二九〇〇円(平成四年度賃金センサス女子短大卒二〇歳平均賃金)を得られたものであり、二八歳(平成一一年)から六七歳まで三九年間(新ホフマン係数二一・三〇九)就労可能であったにもかかわらず、後遺障害等級一級の後遺障害が残存した結果、一〇〇パーセントの労働能力を喪失した。

(計算式)

二六四万二九〇〇円×二一・三〇九=五六三一万七五五六円

<11> 慰謝料 合計五〇〇〇万円

ⅰ 原告愛子の慰謝料

傷害慰謝料、後遺障害慰謝料とを併せて四〇〇〇万円を下らない。

ⅱ 両親の慰謝料

原告和義 五〇〇万円

原告美智子 五〇〇万円

<12> 弁護士費用 合計一〇六〇万円

原告愛子 一〇〇〇万円

原告和義、同美智子 各三〇万円

第三争点に対する判断

一  争点<1>(事故態様・過失相殺等)について

(一)  事故態様

証拠(甲一、二、一二三、乙一、原告愛子本人)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

原告愛子は、本件事故当時一九歳であり、女子短期大学の二年生であった。原告愛子と被告岸本は、本件事故当時、同じサークルに所属しており、本件事故は、サークルのメンバーで大阪花の博覧会に行った帰りに発生したものである。被告岸本は、原告愛子を岸本車両の助手席に同乗させ、原告愛子の家に送る途中であった。

本件事故現場は、大阪中央環状線北行車線であり、制限速度時速六〇キロメートルのほぼ直線の道路であり、本件事故当時の交通量は普通であり、特に混んではいなかった。被告岸本は、助手席に原告愛子を搭乗させ、大阪中央環状線北行車線を本件事故現場に向かって岸本車両を走行させていた。その際、原告愛子は、シートベルトを着用していなかった。岸本車両の前方には加藤車両が走行しており、そのさらに前方には木下車両が走行していた。本件事故現場付近において、木下車両が減速したのに対し、加藤車両がブレーキをかけたが間に合わず、木下車両に追突した。他方、加藤車両がブレーキランプを点灯させて減速した際、被告岸本は、加藤車両の四・四メートル後方の地点において時速約六〇キロメートルで走行していたが、危険を感じブレーキをかけた。しかし、間に合わず、一三・二メートル走行の後、ブレーキが効き始める前に、岸本車両は加藤車両に追突し、その後一一メートル前方の地点において停車した。岸本車両が加藤車両に追突した際、原告愛子は、岸本車両の助手席から追突の衝撃により前方に飛び出し、頭部を岸本車両フロントガラス左側に激突させるとともに、胸部を助手席前方部分にぶつけた。その際、フロントガラスには放射線状に亀裂が入った。

(二)  過失相殺等

前項認定のとおり、本件事故時にシートベルトを着用していなかったものであり、シートベルトを着用していれば、原告愛子はその頭部をフロントガラスに強打することはなかったといえるから、シートベルト不着用が本件事故による損害に大きく寄与していることが認められる。そして、助手席同乗者には自らシートベルトを着用して自己の身を守るべき義務があるというべきであり、原告愛子には、その点についての注意義務違反が認められる。被告岸本についても、本件事故当時、原告愛子にシートベルトの着用を促したような事実は認められないが、原告愛子の上記注意義務違反を全く無視することはできない。そして、本件事故の態様、原告愛子の被害の内容、シートベルト着用による事故回避可能性の程度、本件事故当時におけるシートベルト着用の重要性についての社会的認識の程度等の事情を考慮すれば、本件事故による損害の発生について、原告愛子に一割の過失を認めるのが相当である。

二  争点<2>(後遺障害等)について

(一)  原告愛子の症状経過等について

証拠(甲三の一の一、二、甲三の二、甲四の一の一、二、四の二、甲五の一ないし五、甲五の六の一、二、甲五の七ないし一三、甲六の一の一ないし六、甲六の二、三、甲六の四の一、二、甲七の一ないし三、甲七の四の一、二、甲七の五ないし七、甲八の一ないし五、甲九の一、二、甲一〇、一一の一ないし三、甲一一の四の一、二、甲一一の五ないし一〇、甲一二の一の一、二、甲一二の二の一、二、甲一二の三ないし九、甲一三、甲一四の一ないし三、甲一五の一、二、甲一六ないし一八、二〇、二三、二四、二七ないし三〇、一〇〇ないし一〇二、一一五ないし一一七、一二〇ないし一二五、一二八、一二九の一ないし五三、甲一三〇、一三三ないし一三六、二五五、検甲一の一ないし五、乙四の一ないし七、乙五の一ないし一七、乙六の一ないし二三、乙七の一ないし二七、乙八の一ないし七、乙九の一ないし七三、乙一〇の一ないし四二、乙一一の一、二、乙一二の一ないし一九、乙一三の一ないし三七八、一四の一ないし一七、一五の一ないし九、一六の一ないし一〇、乙一七の一ないし六、乙一八の一ないし一〇、乙一九の一ないし七、乙二〇の一ないし三、乙二一の一ないし四、乙二二の一ないし一二二、乙二三の一ないし九、乙二四の一ないし三二、乙二五の一ないし四、乙二六の一ないし九、乙二七の一ないし八、乙二八の一ないし一八、二九の一ないし二四、乙三〇の一ないし七八、乙三一の一ないし二七、乙三二の一ないし三、乙三三の一ないし三、乙三四の一ないし六、乙三五の一、二、乙三六の一ないし二九、乙三七の一ないし一二五、乙三八の一ないし六、乙三九の一ないし二六四、乙四〇、五四、五五、六九の一ないし三、乙七〇の一ないし三、乙七一の一、二、乙七二の一、二、乙七三の一、二、乙七四の一、二、乙七五の一、二、乙七七ないし八一、乙八二の一、乙八三、丙一、証人堀口、同別府、原告愛子本人)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

<1> 本件事故前の症状等

ⅰ 昭和五五年ころの原告愛子(当時九歳ころ)の眼についての診断名は両視神経乳頭拡大であった。

ⅱ 昭和五七年八月一二日(一一歳時)より、兵庫県立姫路循環器病センターに通院し、てんかんの疑いと診断された。また、当時の診断書には、「一年ほど前から、右眼が突然見えなくなる発作がある、五から一〇分続く、目の前がぐじゃぐじゃとなり、白くみえる(白い点々がたくさんあつまったような)。頭痛は伴わないが、右眼が熱くなる。一か月から一週間に一度くらいの頻度。現在は、一〇日に一回。それ以外は普通に見える。時々、右側頭痛(夜間)拍動性、約一〇分がある。」と記載されている。

ⅲ 昭和六〇年五月ころ(一四歳時)より、兵庫医科大学病院眼科に通院し、閃輝暗点と診断された。「小学校五年生のころから右眼のみが二週間に一回程度全体に白く見える。徐々に減ってきて現在月に一回程度だが、昨年一一月には左目にも同様の症状を自覚。最近は左頸部痛みあり。」との診察を受けている。同年五月三一日付の眼科からの依頼書には、小学校五年のころより、右眼が時々白っぽく見える、最近頻回に症状が出現するようになり、また、頭部や手がしびれるとの訴えがあり、視力は、右一・五、左一・五で、視野は特に異常がなかった旨の記載がある。

同年六月三日より、同病院脳神経外科に通院し、膠原病疑い、多発性神経炎疑いと診断された。また、「<1>五年前に右眼が白くかすむ、五から一〇分くらい、一週間に一回くらい。このとき左眼はよく見える。現在月一から二回くらい。<2>去年一〇月、今年三月の二回、右眼に引き続き左目も白く見える、五から一〇分。<3>今年三月より左下肢(時に右も)つっぱるようになった。こむら返り、二から三日に一回。<4>五月一〇日より眼科で投薬。左手のしびれでものがもてなくなった。その後、左手の痛み」と記載された記録がある。

同年六月二四日より、同病院耳鼻科に通院し、耳鳴、両慢性副鼻腔炎と診断された。「二週間前より誘因なしに左耳鳴(わーんという感じ)がおこり、二から三日後、右側耳鳴となり、現在は左右不規則におこる。悪化傾向はない。耳鳴りの時間は一瞬である。本年一月より、頭痛、嘔気、嘔吐、めまい(浮遊感、一分以内、動作に無関係)がおこるようになり、悪化傾向はない。」

と診断されている。

ⅳ 平成元年八月一八日における、原告愛子の視力は、右一・五、左一・〇であった。

ⅴ 平成二年四月五日に村井眼科医院に通院し、近視性乱視、単性緑内障の診断を受けている。

ⅵ 平成二年一月三〇日には、習字の初等科師範の免許状を得ており、本件事故当時女子短期大学二年に在籍していた。

<2> 本件事故後

ⅰ 事故日後一年間

ア 原告愛子は、本件事故直後、意識を失い、救急車で河合外科に搬入された。そこでの診断名は、頸椎捻挫、頭部外傷Ⅰ型であり、診断書には、「XP、CTで異常なく、経過良く数日で完治見込み」と記載されている。また、カルテには、「項部痛著しい、握力低下、精神学的異常なし」との記載がある。

本件事故の翌日、河合病院から神戸市立中央病院に寝台車で転院し、そこで、吐き気、頭痛等の症状が強い旨の診断を受けている。

神戸市民病院に部屋の空きがなかったため、同日夕方、神戸市民病院より別所病院に寝台車にて転院した。別所外科での診断名は、頭部外傷(Ⅰ)、頸部捻挫、胸部挫傷であり、悪心、頭痛頸部運動全く不能、食欲不振等の症状著しく加えて頸部運動痛甚だしく、坐位すら困難との診断を受けている。

別所外科に二四日間入院の後、同年八月二日に退院し、以後通院加療を受けた。入院期間中、同年七月二三日までは、要安静加療のため家族の付添看護を要した旨、診断書に記載がある。入院中、頸部痛、頭痛については、未だ残るものの、改善している旨診断されている。また、歩行も可能となった旨診断されている。

別所外科への通院日数は、八月が一八日間、九月が一五日間、一〇月が二日間、一一月が二日間であった。同年一一月八日には、頸部より上腕への脱力感を訴えて別所外科に通院した。

同年八月三〇日付の健康診断書(通学先の女子短期大学で実施されたもの)では、視力右一・二 左一・二、聴力左右正常とされている。

同年九月一三日ころ村井眼科に通院し、その際の視力は、右一・二、左〇・八であった。

同年一〇月より、女子短期大学の後期の授業が開始されたため、何回か通学したが、度々体調不良を訴えた。

イ 平成二年一一月一九日より真部外科へ通院を開始したが、初診時の症状は、左項頸部痛、頭痛、腰痛、視力障害、左上肢の疼痛、脱力感あり、項部、肩、肩胛部、前頸部に圧痛著明とされている。

平成三年一月二八日より兵庫県立成人病センターに通院し、両若年緑内障、左頸椎損傷後調節障害、頸部症候群(外傷後)と診断されている。

平成三年三月二五日、新日本製鐵広畑製鉄所病院眼科に通院し、両視神経乳頭陥凹拡大、両調節不全、頸椎捻挫と診断され、視力は右一・五、左〇・六であった。

ウ 原告愛子は、平成三年三月に女子短期大学を卒業し、教授の紹介で就職した会社に同年四月から出社し、研修等を受けたが、同年五月一八日以降出社できなかった。

この間、同年五月一日には、兵庫県立成人病センターにおいて、左頸椎損傷後調節障害による遠見、近見障害、両眼視機能の低下を認め、現在近見作業を続行することは困難な状態である旨の診断を受けた。

さらに、同月一八日には、村井眼科医院において、左目調節不全、左目調節性眼精疲労、右視力一・二、左視力〇・三、右疾患のため頭痛眼痛を訴え、約一ヶ月の休養加療を要するとの診断を受け、また、真部外科において、急性腰痛症、頸部挫傷により平成三年五月二〇日より同年六月二日まで安静加療を要する旨の診断を受けた。

エ 同年六月二七日より兵庫県立尼崎病院整形外科に通院し、外傷後頸椎症と診断されたが、検査の結果は、「上腕二頭筋反射右正常、左低下。上腕三頭筋反射右左正常、橈骨反射左右正常。ホフマン反射ナシ。膝蓋腱反射正常、バビンスキー ナシ、オッペンハイムナシ。整形的には特に異常なしと考える。」とされた。

同年七月一日、三聖病院に通院した際の原告愛子の状態について、堀口医師は、特に介護を必要とする状態にはみられなかったが、足を引きずるような歩き方をしており、精神状態は正常であったが、首から肩、腕にかけて、突っ張るような瘍みと電撃様の痛みを訴えており、また、腰の鈍痛があることを訴えていた旨供述している。

ⅱ 事故一年後以降

ア 視力等の障害

同年七月三日より高橋眼科院に通院し、視力右〇・九(矯正一・〇)、左〇・二(矯正不能)、視野 右正常、左 外下方に視野欠損との診断を受けた。

同年七月八日、藤谷耳鼻咽喉科に通院し、視神経管撮影を行ったが、明らかな骨折跡はみられなかった。

同年七月九日より兵庫県立尼崎病院眼科に通院し、疑視神経萎縮症(左)、(左)近視性乱視、開放隅角緑内障と診断された。

同年七月一七日より三菱神戸病院通院し、視力右一・〇、左〇・二、視神経乳頭左軽度蒼白、視野右正常、左鼻下側一/四半盲と診断された。

同年九月三日の検査では、右〇・七、左〇・一五であり、同月一〇日の検査では、右〇・五、左〇・一であり、同年一一月三〇日の検査では、右〇・二、左〇・一、同年一二月一四日の検査では、右〇・二、左〇・一であった。

平成六年九月一〇日、佐野病院において、両目視神経管骨折による両眼視神経萎縮と診断された。その際の視力は、右矯正視力〇・〇四、左矯正視力〇・〇三であった。

平成九年一一月二一日における視力は、右〇・〇一、左〇・〇二(両眼矯正不能)であった。

イ 聴覚の障害

三聖病院における平成四年一月一七日の検査において、右耳二〇dB、左耳二五dBと診断されている。

平成六年一二月一四日、藤森病院において、難聴のため、両耳、補聴器適用と診断された。

ウ 四肢等の障害

平成三年八月二二日より、幸循会OBPクリニックに通院し、レントゲン上、第三、四椎間板に不安定性が認められる旨診断された。

一方、同年九月二日、大阪鉄道病院において、MRI検査の結果、椎体の並び、椎間板スペース、椎間板、脊椎管、これらに明らかを異常を認めず、と診断される。

同月二四日、大阪大学医学部附属病院脳神経外科に通院し、事故当時のレントゲンフィルム及び平成三年九月二日のMRIにて第三ないし六頸椎に脳脊髄液圧排像が認めらる旨診断される。また、右手握力一一キログラム、左手握力六キログラムであった。

平成四年一月九日より平成五年四月三〇日まで、三聖病院に入院し、同年五月三〇日から同年一一月三〇日まで、断続的に神戸アドベンチスト病院に入院しながら、堀口医師のペイン治療を受けた。

この間、堀口医師より、頸椎捻挫、第三、四、五頸椎骨折、外傷性頸部症候群、外傷性自律神経(交感神経)失調と診断されている。

平成四年一〇月一三日に兵庫県立姫路循環器センターに通院した。

平成四年一一月一七日、身体障害等級二級一五号の認定を受けた。

平成六年九月七日、兵庫県立総合リハビリテーション中央病院において、「左上肢の機能の全廃、左下肢の機能の著しい障害、体感機能の著しい障害」と診断され、身体障害等級二級に該当する旨の参考意見が医師により出されている。

同年九月二〇日の時点で、身体障害等級一級(バス介護付)と認定されている。

同年一〇月三日より兵庫県立総合リハビリテーション中央病院に入院した。

平成七年二月二七日、神経因性膀胱との診断を受けた。

同年四月二〇日に、兵庫県立総合リハビリテーション中央病院を退院し、訓練課に入院した。

同年七月六日に兵庫県立総合リハビリテーション中央病院において意識を失い、首から下は知覚・運動共完全麻痺状態となった。

同年七月一〇日神戸アドベンチスト病院に入院し、同月一八日の検査では、バビンスキー(-)、クローヌス(+)であった。

同年九月八日、神戸アドベンチスト病院から九段坂病院へ転院し、同年一一月一六日、九段坂病院において、四肢麻痺、神経因性膀胱の確定診断を受けた。

ⅲ 平成七年一一月一六日以降の症状

平成九年一一月二一日の検査の結果は、「足クローヌス陽性、バビンスキー異常なし」というものであった。症状は、四肢麻痺、かつ弱視の状態にあった。

<3> 医師の見解

ⅰ 五島医師(平成五年六月二五日付)

視野の欠損及び視力の低下は、本件事故の頭部打撲によるクモ膜障害から治療過程における癒着がおこり、視神経を圧迫し、視神経萎縮によるものと推定される。また、転倒等の危険のために介護を要する。

ⅱ 簗島医師

本件事故後、右目は一年、左目は五ヶ月経過してからの視力低下及び視野変化は、それ以前から指摘されている開放性隅角緑内障が進行した結果と考えられ、本件事故による外傷と結びつけて考えることには無理がある。

ⅲ 津村医師(平成七年三月三日付)

交通事故による視神経の損傷、頸椎及び腰椎の靭帯や筋肉の挫傷、頸部での神経損傷が生じ現在に至ったもので本件事故との明らかな因果関係を認める。

ⅳ 高倉医師

左上肢の脱力に関しては、頸部MRI上に認められた異常信号による脊椎前角間の錐体路病変と一致するためここが責任病変と考えられる。左下肢右上下肢に関しては、画像所見、検査所見からは積極的に病巣を示唆するものは得られなかった。

また、視力低下につながる原因は不明で、心因性によるものも否定できない。

ただし、原告愛子は、四肢麻痺かつ弱視の状態であり、明らかに本件事故を契機として症状が出現しているため、外傷による一次性器質疾患の心因性による加重の可能性が高い。

ⅴ 別府医師

頸髄を中心とする病変により、患者の現在の症状はほぼ説明がつく。外傷及びその後遺症として時間的経過などとも矛盾なく説明できる。視力障害も外傷に起因する後遺症と思われる。ただし、これらの症状のうちの一部は診察・検査所見と患者の症状・訴えの間にギャップがあり、本件事故やその後の対応に対する患者の不安などが関連して心因的要素も一部は加味していると判断する。

ⅵ 乾医師

本件事故によって原告愛子の受けた病態を説明しうる脳神経外科的、眼科学的、並びに整形外科学的器質的疾病は認められない。

原告愛子の病態は「ヒステリー」と考えて矛盾はない。このような病態は原告愛子を取り巻く環境の適切な調整及び精神療法によって好転・治癒するものと考えられる。

本件事故と原告愛子の病態との間に因果関係はなく、また、原告愛子の病態は、自賠責保険後遺障害等級の後遺障害のいずれにも該当しない。

原告愛子は、本件事故後約三年間は自分で歩行可能であったが、その後寝たきりになったという経過を考えるとき、仮に百歩譲って「高度の頸髄病変による歩行障害(四肢完全マヒ)がある」としても、これが本件事故によって惹起されたものとは到底考えられない。

ⅶ 五十嵐医師

本件事故直後の河合外科、別所外科の診療録上には頸髄損傷を示唆する記載がないし、診断上の見落としもない。

別所外科通院中に「訴えが多い」という記載があって、心因性の始まりを示唆する言動の記載がある。患者は歩行して退院し、通院もしている。

九段坂病院の診療録には脊髄損傷と記載はあるもののヒステリーの診断が加わっていることを否定する医学的な根拠がなく、むしろヒステリーの診断を証明する行動がある。

国立身体障害者リハビリテーションセンター病院の診療録にも脊髄損傷と考えられる所見がなく、自分で寝返りなどの動作、みかんの皮を剥ぐ動作や習字ができることを医師が観察して診療録に記載している事実がある。

東京女子医科大学病院において精神内科、眼科では心因性を否定せず、精神科においては、賠償がらみの例であり、これまでの受診医療機関の夥しさや、二次疾患利得の関与が疑われる‥など転換性ヒステリーを強く示唆している。

ⅷ 逸見医師

原告愛子の状態は、PTSDによるものとは考えられない。

(二)  後遺障害

<1> 四肢の障害について

ⅰ 原告愛子を診断した多くの医師が指摘するとおり、事故後のレントゲン検査上、原告愛子の第三、四、五頸椎には後方推移が認められる。また、平成三年に大阪医大で撮影されたMRI検査によって、第三ないし六頸椎に脳脊髄液圧排像が認められる旨診断されており、堀口医師は、自らのペイン治療から得られた効果と上記診断とが一致するものと判断している。さらに、高倉医師も、頸部MRI検査上に認められた異常信号による脊椎前角間の錐体路病変がある旨診断している。以上の診断結果及び本件事故態様をあわせ考慮すれば、本件事故によって、原告愛子の第三、四、五付近の頸椎に物理的変化を伴う圧力が加わり、上記頸椎の異常が原告愛子の本件事故後の左上肢の麻痺に影響を与えているものと認めるのが相当である。この点、本件事故前にも原告愛子には、左頸部等のしびれなどの症状があったこと、原告愛子の左上肢麻痺症状の急速な悪化と本件事故発生との間の期間が長いことが認められ、これらの事実は一見すると、原告愛子の症状と本件事故との間の因果関係を否定する方向に作用するかのようにみられなくもない。しかしながら、まず前者の点については、原告愛子の本件事故前の症状と本件事故直後の症状を比較すれば、明らかに本件事故直後の症状の方が悪化していることが認められ、しかも、その症状は、本件事故直後から急速に悪化するまでの間も徐々に悪化していることが認められる。また、後者の点についても、別所医師は、原告愛子の症状経過が遅発性脊髄損傷として説明し得るとの見解を示しており、これは全く不合理なものとはいえない。

したがって、この本件事故前の原告愛子の左頸部等のしびれなどの症状が既往症として、本件事故後の症状悪化に一定の寄与をしていると認めるとしても、本件事故との相当因果関係を否定するものではなく、本件事故と原告愛子の左上肢の麻痺の症状との間には、相当因果関係があると認めるのが相当である。そして、原告愛子の左上肢の麻痺の症状は、左上肢の用を全廃するに至っており、これを本件事故による後遺障害と認めるのが相当である。

ⅱ これに対し、原告愛子の左下肢、右上下肢の麻痺症状については、その原因となる明確な他覚所見は認められておらず、クローヌス反応と異なり心因的影響を受けにくいバビンスキー反応の結果からも異常は認められていない。そして、左下肢、右上下肢の麻痺症状は、事故後約五年後から急速に悪化した事実が認められる。

以上の事実に、上記認定の症状経過を併せ考えると、原告愛子の左下肢、右上下肢の麻痺症状はもっぱら心因性によるものと認められる。ただ、心因性の要因自体が本件事故による一次的な症状の発生及びその後の治療の経過により発症している面があるから、心因性の要因は、本件事故と前記の左下肢、右上下肢の麻痺症状との間の相当因果関係を否定するものではない。

<2> 視力、視野障害について

視力、視野障害についても、その原因となる明確な他覚的所見は認められていない。しかし、原告愛子の視力、視野についての症状経過からすれば、明らかに、本件事故を境にして視力が低下し始めていることが認められる。また、視神経の圧迫等により、原告愛子の視力、視野障害が生じていることを指摘する医師も多く、視神経乳頭の軽度の病変が一部の医師によって認められていることに照らすと、その説明も一応の合理を有するものと認めることができる。とはいえ、原告愛子は、高度の視力、視野障害を有しており、それが本件事故に起因する視神経の損傷を原因とするものであれば、視神経の比較的重大な病変ないし損傷状態が他覚的所見をもってある程度明確に確認できるのが通常であるにもかかわらず、これを明確に示す所見は認められない。しかも、前記認定のとおり、事故後一定期間経過した後に視力、視野の障害が急速に悪化していることに鑑みると、その症状の経緯をすべて本件事故による外傷によって説明するのは困難といえる。そして、他の原因としては、まず、前記認定の本件事故前の原告愛子の症状経過に照らし、本件事故前の既往症が原告愛子の症状に一定の限度で寄与していると認められる。さらに、原告愛子の現在の重度の視力、視野障害に心因性の要因が強く加わっていることも、多くの医師の指摘するところであり、症状の内容・程度・経過に照らすと、原告愛子の視力・視野障害には心因的要因が作用しているものと認められる。しかし、その心因性も、本件事故及びその後の治療の経過の中で、それに起因して発生したという面があり、心因性があるからといって、原告主張の視力、視野障害について、本件事故と相当因果関係を否定することはできない。

<3> 聴覚障害について

原告の聴覚障害については、平成六年末に藤森病院において診断された以外は、特に他の病院においてその症状が明確に診断されたことが認められず、また、藤森病院において診断された症状が本件事故に起因するとの十分な説明がなされているとはいえないから、原告主張の聴覚障害については、本件事故と相当因果関係があると認めるに足りる証拠はない。

<4> まとめ

以上により、原告愛子の後遺障害は、両上肢の用の全廃、両下肢の機能の全廃(一級六号)、神経系統の用に著しい障害を残し常に介護を要するもの(一級三号)、両眼の視力が〇・〇二以下になったもの(二級二号)と評価できるから、以上を併合して、後遺障害等級一級の後遺障害が本件事故により残存したと認められる。

また、上記認定の症状経過を総合すれば、症状固定日は、四肢麻痺の診断を受けた平成七年一一月一六日と認めるのが相当である。

(三)  寄与度に応じた減額について

上記認定のとおり、本件事故と原告愛子の前記認定の後遺障害との間に相当因果関係があるとしても、前記認定の事実からすれば、原告愛子の呈した症状をすべて本件事故時の受傷に帰することはできず、心因性の要因及び既往症等の体質的素因が相当程度寄与していると認められるのであるから、損害の公平な分担の理念から、民法七二二条を類推適用して、本件事故による損害の四割について、減額するのが相当である。

三  争点<3>(損害額)について(以下の計算においては、一円未満を切り捨てる。)

(一)  治療費・交通費

証拠(甲三の一の一、二、甲四の一の一、二、甲五の六の一、二、甲六の一の一ないし六、甲六の四の一、二、甲七の四の一、二、甲一二の一の一、二、甲三〇ないし三二、三三の一ないし三、甲三四の一、二、甲三五の一、二、甲三六、甲三七の一ないし二七、甲三八の一、甲三八の二の一、二、甲三九の一ないし三、甲四〇、四一の一、二、甲四二の一、甲四二の二の一、二、甲四二の三の一、二、甲四三の一ないし五、甲四四の一、二、甲四五の一、甲四五の二の一、二、甲四五の三の一、二、甲四五の四、甲四六、甲四七の一ないし六、甲四八の一、二、甲四八の三の一、二、甲四八の四の一ないし三、甲四八の五の一、二、甲四八の六の一なし三、甲四九の一ないし八、甲五〇の一、二、甲五〇の三の一、二、甲五〇の四の一ないし三、甲五一の一ないし三、甲五二の一、甲五二の二の一、二、甲五二の三、甲五三の一ないし一一、甲五四の一、甲五四の二の一、二、甲五四の三の一、二、甲五四の四、甲五四の五の一、二、甲五四の六、甲五五の一ないし七、甲五六、五七、五八の一、二、甲五九、六〇の一、二、甲六一の一、二、甲六二、六三の一ないし三、甲六四の一、二、甲六五の一ないし三、甲六六ないし七二、七三の一ないし五、甲七三の六、甲七三の七ないし二六、甲七四の一、甲七四の二の一、二、甲七四の三、甲七四の四の一、二、甲七四の五、六、甲七四の七の一、二、甲七四の八ないし一一、甲七四の一二の一、二、甲七五の一ないし五、甲七六の一、二、甲七六の三の一、二、甲七六の四の一、二、甲七六の五の一ないし三、甲七七ないし八二、八三の一ないし二〇、甲八四、八五の一ないし六、甲八六の一、二、甲八六の三の一、二、甲八六の四の一、二、甲八六の五、甲八七の一ないし三、甲八八、八九の一ないし五、九〇の一、二、九一の一ないし八、九一の九ないし三二、甲九二の一ないし二三、甲九三、九四の一ないし四、甲九五の一ないし五三、甲九六の一、二、甲九七の一ないし七、甲九八の一ないし三九、甲九九の一、甲九九の二の一、二、甲九九の三の一、二、甲九九の四、五、甲九九の六の一ないし三、甲九九の七の一、二、甲九九の八、甲九九の九の一、二、甲九九の一〇の一、二、甲一三八ないし一九〇、一九一の一ないし四、甲一九二、一九三の一ないし三、甲一九四の一、二、甲一九五の一、二、甲一九六の一、二、甲一九七の一ないし三、甲一九八の一ないし五、甲一九九、二〇〇、二〇一の一ないし三、甲二〇二の一ないし三、甲二〇三、二〇四の一ないし三、甲二〇五の一ないし三、甲二〇六の一ないし三、甲二〇七の一ないし五、甲二〇八の一ないし三、甲二〇九の一、二、甲二一〇、二一一の一ないし三、甲二一二ないし二三三、二三四の一ないし五、甲二三五の一ないし一〇、甲二三六、二三七、二三八の一ないし三、甲二三九、甲二四〇の一ないし四、甲二四一の一ないし五、甲二四二、乙四の六、乙五の二、乙六の二、乙七の二ないし六、乙五三)及び弁論の全趣旨によれば、以下のとおり認められる。

<1> 治療費等 二四五万六六三四円

原告愛子は、前記認定の症状固定日までの治療費等として合計二七四万五四九三円を支払ったものと認められる。また、被告保険会社は治療費として合計二七万二一五五円を支払ったものと認められる。一方、新日鉄健康保険組合は、原告愛子の支払った治療費合計五六万一〇一四円を原告愛子に対して支払ったことが認められる。以上の治療費を本件事故による受傷に起因する治療費等と認める。

<2> 交通費 五〇万円

原告愛子の上記症状経過からすれば、上記治療費の認められる通院において、タクシー等を利用することは一定限度で認められるべきところ、原告愛子の通院状況、通院場所、通院回数等を考慮すれば、原告主張の交通費のうち、五〇万円を本件事故と相当因果関係ある通院交通費として認めるのが相当である。

(二)  入院雑費 一三四万一六〇〇円

入院雑費として日額一三〇〇円を相当な損害と認める。

症状固定日までの入院日数は、以下のとおりであり、合計一〇三二日と認められるから、入院雑費として上記金額を認めるのが相当である。

平成二年七月九日から同年八月二日(二五日間)

平成四年一月九日から平成五年四月三〇日(四七八日間)

平成五年五月三〇日から同年六月三〇日(三二日間)

平成五年七月二〇日から同年八月二九日(四一日間)

平成五年九月六日から同月二一日(一六日間)

平成五年一〇月二二日から同年一一月一〇日(二〇日間)

平成五年一一月一六日から同年一一月三〇日(一五日間)

平成六年五月一八日から同月二〇日まで(三日間)

平成六年一〇月三日から平成七年一一月八日(四〇二日間)

(三)  付添介護費用(将来分も含む。)五九九六万三五五七円

入院付添費用として日額四五〇〇円を相当な損害として認める。また、在宅時における付添介護費用として、症状が悪化した平成四年から、父母による介護が期待できる平成二六年までの二二年間は、日額四五〇〇円を本件事故と相当因果関係ある損害と認める。

その後の四〇年間については、父母による介護が期待できないから、職業付添人による介護費用として、日額八〇〇〇円を本件事故と相当因果関係ある損害と認める。

したがって、付添介護費用の合計は、以下の計算式のとおりとなる。

(計算式)

四五〇〇円×(二五日+三六五日×(一五・五〇〇-一・八六一))+八〇〇〇円×三六五日×(二八・三二五-一五・五〇〇)=五九九六万三五五七円

なお、原告主張の療養費用を付添介護費用とは別に認めるのは相当でない。

(四)  家屋改造費等 合計五〇万三一〇〇円

証拠(甲二四三、二四四)及び弁論の全趣旨によれば、原告愛子は、リフターの設置費用、浴室の改造費用として、五〇万三一〇〇円を支出したことが認められ、上記金額は、本件事故による相当な損害と認める。

将来の住宅改造費用については、その工事費用、工事内容、改造時期等が不確定であり、相当な損害とは認められない。

(五)  医療器具等購入費用 合計五四八万九九四四円

ⅰ 車椅子購入費用 二五七万六三八九円

証拠(甲二四五、二四六の一ないし三、甲二四七ないし二四九)及び弁論の全趣旨によれば、原告愛子は、車椅子を現在まで三台買換え、一五四万七一三九円支出したことが認められる。

また、将来についても、車椅子の消耗等を考慮すれば、平成一五年より、車椅子購入費として五年に一回、合計一一回、各二五万円の支出が必要であると認める。各回の支出について事故日から年五分のホフマン係数を乗じた額の合計は、一〇二万九二五〇円となる。

(計算式)

二五万円×(〇・六〇六+〇・五二六+〇・四六五+〇・四一七+〇・三七七+〇・三四五+〇・三一七+〇・二九四+〇・二七四+〇・二五六+〇・二四〇)=一〇二万九二五〇円

ⅱ 介護ベッド購入費 二九一万三五五五円

証拠(甲二五〇、二五一)及び弁論の全趣旨によれば、原告愛子は、平成七年介護ベッドを購入し、周辺用具と併せて合計一〇三万三四七三円を支出したことが認められる。

また、将来についても、介護ベッドの消耗等を考慮すれば、平成一五年より、介護ベッド購入費として八年に一回、合計七回、各七〇万一〇〇〇円の支出が必要であるものと認め、各回の支出について事故の日から年五分のホフマン係数を乗じた額の合計は、一八八万〇〇八二円となる。

(計算式)

七〇万一〇〇〇円×(〇・六〇六+〇・四八八+〇・四〇八+〇・三五一+〇・三〇八+〇・二七四+〇・二四七)=一八八万〇〇八二円

ⅲ 補聴器

補聴器については、その購入費用を支出したと認めるに足りる証拠はなく、将来購入する蓋然性を示す証拠はない。

(六)  休業損害・逸失利益 六一九〇万九八六〇円

本件事故がなければ、平成三年四月から年額二六四万二九〇〇円(平成四年賃金センサス女子短大卒二〇歳平均賃金)を得られたものと認められ、二〇歳から六七歳までの四七年間(新ホフマン係数二三・八三二)就労可能であったと認められる。労働能力喪失率は一〇〇%と認められるが、平成三年四月から同年九月まで一〇七万五七三二円の給料を得ているため、この金額を控除する。

(計算式)

二六四万二九〇〇円×二三・八三二-一〇七万五七三二円=六一九〇万九八六〇円

(七)  慰謝料 原告愛子 二四〇〇万円

両親 各二〇〇万円

本件事故の態様、原告愛子の後遺障害、入通院の経緯、事故当時の年齢等を考慮すれば、本件事故による、原告愛子の慰謝料は、二四〇〇万円を認めるのが相当である。

原告愛子の受傷により、両親である原告和義、同美智子の被った精神的苦痛を考慮し、その慰謝料については、各二〇〇万円を認めるのが相当である。

(八)  まとめ

以上の損害額の合計は、原告愛子について、一億五六一六万四六九五円、原告和義、同美智子について、各二〇〇万円となる。

(九)  減額及び既払控除 原告愛子 八〇九五万二六六三円

両親 各一〇八万円

上記の損害額に対し、寄与度減額を四割、過失相殺を一割行うべき事情があるから、被告らが負担すべき原告愛子の損害額は、以下の計算により、八四三二万八九三五円となる。

このうち、被告岸本から七七万円既に支払われており、被告保険会社から二六〇万六二七二円支払われているから、この額を控除すると、以下の計算のとおり上記金額となる。

(計算式)

一億五六一六万四六九五円×〇・六×〇・九=八四三二万八九三五円

八四三二万八九三五円-七七万-二六〇万六二七二円=八〇九五万二六六三円

二〇〇万×〇・六×〇・九=一〇八万円

(一〇)  弁護士費用 原告愛子 七〇〇万円

両親 各一〇万円

本件事案の内容、審理の経過、認容額等に照らし、被告らに負担させるべき弁護士費用としては、原告愛子につき、七〇〇万円、原告棒谷和義、同美智子につき、各一〇万円とするのが相当である。

(一一)  搭乗者傷害保険保険金 八九七万円

上記認定のとおり、原告愛子は、本件事故により後遺障害等級一級の後遺障害を残したものであるから、搭乗者傷害保険として、被告保険会社から原告愛子に対して、一〇〇〇万円が支払われるべきところ、一〇三万円のみ支払われているから、被告保険会社が支払うべき搭乗者傷害保険の残額は、八九七万円である。

四  よって、主文のとおり判決する。

(裁判官 中路義彦 山口浩司 下馬場直志)

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